小泉八雲の妻
2025年9月29日月曜日からNHKの朝ドラ「ばけばけ」が始まります。「ばけばけ」は小泉セツをモデルとした、主人公・松野トキ(髙石あかり)のお話です。
ではNHKの朝ドラに主人公として取り上げられる小泉セツとは、何をした人なのでしょうか、どんな人物だったのでしょうか?
まず「小泉セツ 何をした人」と言うキーワードを構成する1つ目の要素は、明治時代の小説家である「小泉八雲の妻」であったことです。
「小泉八雲」という名前はまさしく日本人の名前ですが、この名前は日本に帰化した後の名前で、それ以前はイギリス人として「ラフカディオ・ハーン」という名前です。
このことから小泉セツは小泉八雲と当時としては珍しかった国際結婚をしていたのです。時は1891(明治24)年の出来事でした。小泉セツは小泉八雲との結婚により、三男一女の子供たち(一雄・巌・清・寿々子)を出産します。
小泉八雲は1904(明治37)年に狭心症による心臓発作のために亡くなりますが、小泉セツは4人の子どもたちが成人するまで育て上げました。
小泉八雲の「リテラシー・アシスタント」
「小泉セツ 何をした人」というキーワードを構成する2番目の要素は、「小泉八雲のリテラシー・アシスタント」であったことです。小泉八雲は再話文学の語り手として小泉八雲の著作を手伝っていたのです。
もっと平たくいうと、小泉セツは小泉八雲が小説を書くにあたって、その元ネタとなる神話・伝承・怪談話の類を話していたのです。
小泉セツの家系には神官の家系をもつ養母の稲垣トミや、出雲松平藩で由緒正しき家老の家柄の出身であった実母・小泉チエなどがいました。小泉セツは幼少時からそうした人々にお話を聞かせてもらい、日本研究家としての小泉八雲の興味を引く話をたくさん知っていたのです。
そうして小泉セツが「語り手」として小泉八雲の作品に貢献した作品群には以下の作品が挙げられます。
思ひ出の記
小泉セツは小泉八雲の作品にアシスタントして活躍していただけではありません。1904(明治37)年に小泉八雲が亡くなった後、在りし日の小泉八雲との出会いから結婚生活までを語った、随筆の「思ひ出の記」を残しています。
「思ひ出の記」は日本を研究するためにやってきた、アイルランド出身のイギリス人であるラフカディオ・ハーンが日々の生活で何を思っていたかのか。さらに小泉セツと国際結婚したのち、名前を小泉八雲と改めた後、どのような日常生活を過ごしていたのかを知るためには、非常に貴重な資料となっています。
NHKは「思ひ出の記」に書かれている内容を、朝ドラ「ばけばけ」に色濃く反映させると考えられます。
小泉セツ 何をした人 関連記事
今回の「小泉セツ 何をした人 小泉八雲の妻でリテラシー・アシスタント」という記事を書くにあたって、下記の記事を参考にしています。