小泉八雲の死因は狭心症による心臓発作
2025年9月29日月曜日からNHKの朝ドラ「ばけばけ」が始まります。小説家の小泉八雲の妻・小泉セツをモデルとした、主人公・松野トキ(髙石あかり)のお話です。小泉セツは「再話文学の語り手」として知られた女性です。
その小泉セツの夫である小泉八雲は1904(明治37)年9月26日に、狭心症による心臓発作のために亡くなります。享年54。このとき小泉セツは36才、長男の一雄は11才、次男の巌は7才、三男の清は5才、長女の寿々子に至ってはわずか1才でした。
多忙を極めた小泉八雲の晩年
小泉八雲の死因を医学的に表現すると、「狭心症」や「心臓発作」や病名を症状をつけることができます。しかしそ表現では、その病気に至った原因は含まれておらず、なぜ死に至ったのかは詳しい経緯が分かりません。
そこで小泉八雲はなぜ妻とまだ幼い子供たちを残して、50代半ばで亡くなってしまったのか理由が分かるのが、妻・小泉セツが書いた「思ひ出の記」です。
「思ひ出の記」では小泉セツが小泉八雲が亡くなった後に、2人の結婚生活を振り返ったエッセイですが、亡くなる数年前の様子や亡くなった日から数えて1週間前からの小泉八雲の様子も詳しく描かれています。
この「思ひ出の記」によると、小泉八雲は著作活動として並行して行なっていた東京帝国大学文科大学(現在の東京大学文学部)の講師として、講義の準備にも一才手抜きをすることはなかったそうです。
さらに限られた時間で行なっていた小説家としての著作活動も寸暇を惜しみ、さらには人との交際も絶って行なっていました。
ヘルンは面倒なおつきあいを一切避けていまして、立派な方が訪ねて参られましても、「時間を持ちませんから、お断り致します」と申し上げるようにと、いつも申すのでございます。
田部隆次. 小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン (中公文庫) (Function). Kindle Edition. No.3379
これらのことを総合すると小泉八雲の寿命を縮めていたのは、「多忙を極めていたことによるストレス」だったと言えるかもしれません。
田部隆次や小泉一雄の証言
さらに小泉八雲の晩年が忙しかったと証言しているのは、妻の小泉セツだけではありません。
東京帝国大学文科大学で小泉八雲に師事していた英文学者の田部隆次や、長男で亡くなったときに11才だった小泉一雄など、小泉八雲を身近で見ていた人たちも、小泉セツと同じく、小泉八雲は多忙であったとそれぞれの著作「小泉八雲 ラフカディオ・ヘルン」や「父小泉八雲」で証言しています。
小泉一雄に至っては「馬車馬のごとく傍目もふらず執筆した」と表現しています。
小泉八雲 死因 参考記事
なお今回の「小泉八雲 死因」に関する記事は以下の記事を参考にして作成しました。合わせてごらんいただければ幸いです。